虚弱の耐性


 1990年代、雑誌風餐の座談会で『日本人の弱さ』について、韓国ソウルでオカマの方が経営する店で語り合ったことがある。韓国人は強く、日本人は弱いという話も出ました。さて、弱さとは何か?

 ZENは最近、フランス人女性からこんなことを指摘された。「日本のマンガは男が弱すぎる。でも、フランス女性には、新鮮なのかもしれない。」これは決してほめ言葉ではありません。

 一体いつから、マンガの中で日本の男が弱くなったかの結論は学者に任せるとして、ZENは江川達也のマンガ『ゴールデンボーイ』を思いました。

『ゴールデンボーイ』の主人公、大江錦太郎は、東大法学部を自主退学したプー太郎の25歳である。さまざまなバイト先で、バリバリの女社長や箱入り娘や超絶スポ根ギャルなどに出会う。いずれも男にとっては高嶺の花、”強い立場にいる女たち”である。女好きの錦太郎は、この女性たちに接近する度、馬鹿にされ、足蹴にされ、無視される。東大法学部出のエリートでさえ、男は徹底的に虚弱な存在だとしてマンガ的に誇張されている。ところがラストシーンでいつも錦太郎は非現実的な大逆転打を放って、男性読者の鬱屈した感情を発散させる仕掛けになっている。

『ゴールデンボーイ』がヒットしたのは、ストーリーテラーたる江川達也の戦略の勝利であるが、背景にあるのは、虚弱な多くの男性読者の存在である。虚弱さの中身を調べると、繊細な神経の動きに突き当たる。針がささいな事柄に敏感に反応する。
”私は「弱さ」を「強さ」からの一方的な縮退だとか、尻尾をまいた敗走だとは思っていない。むしろ弱弱しいことそれ自体の中に、なにか格別な、とうてい無視しがたい消息が隠れていると思っている”(『フラジャイル』松岡正剛 ちくま学芸文庫) 
   
 快晴と驟雨と積雪と寒風が交流するモンスーン気候、暖流と寒流が入り混じり合い、噴火する山々とたびたび揺れる地面、高峻な山脈と急流と狭い平野が織り成す変化に富んだ自然の下で、ことさらに強さを誇ることの”不自然なたたずまい”を自覚する男たちが、虚弱の耐性を長い歴史の中に育んできた。それが日本のマンガにも発見されることは少しも”不自然”ではない。

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