ディスカバー大和(倭)〜前編


 京急(京浜急行)は、都市鉄道の本質を最も美事に描き、謳いあげる私鉄路線として、風餐人は昔からそのリリシズムと全さを讃えてきた。しかしながら、横浜を縦断する京急に対して、ZENは横浜を横断する相鉄(相模鉄道)を等閑視してきた。その怠惰さに対する巨大な復讐が今、押し寄せている。

 もちろん、ZENは相模鉄道を全く知らないわけではなかった。始発の横浜駅構内の立ち食いうどん屋、『星の』のいりこダシのきいた絶妙な関西風うどんの味を知らないわけではなかったし、横浜駅を出てすぐの帷子(かたびら)川沿いに軒を連ねるオネエさん方の手作りの味のおでん屋台群を知らないわけでもなかった。すなわち、見栄っ張りの東京人とは違って、どこか大阪人と通底するハマっ子の合理性や海洋的開放性の一端に触れていないわけではなかった。けれども、横浜港に流れ込む帷子川を逆に西へ西へと溯っていくのに沿って鉄路を伸ばす相鉄線について、ZENは、今に至るまで、鶴ヶ峰駅付近で支流の二俣川と分岐するあたりで完全に関心を失っていた。その先に見るべきものは何もないと。

 しかし、相模鉄道 大和(倭)駅に降り立ったとき、予期せぬ”風餐”の風に煽られ、眩暈と感動が同時に襲った。いかなる駅とも比類がない倭の本質を突いた風が、臆することなく、堂々と吹き渡っていたからだ。
 では倭とは何か? その答えが大和駅前にある。

 第一に、敗戦国日本の下にマッカーサーが厚木飛行場に降り立った、その厚木基地の北東にあたる大和には、アメリカ人が儒的束縛の中にあった倭人に、前例のないフリーダムを、全くの気前の良さを持って与えたということだ。見るがいい。大和天満宮の入口の白い霊石に、巨体の黒人が、オレンジ色のタンクトップを着て、ヘッドホンをして何食わぬ顔で座り、前を行き交う人たちを眺め回している。その隣には日福飯店とヒップホップのカジュアルショップの長屋建ビルがあり、その二階には、バプテスト教会の礼拝場がある!

 それは第二に、在日朝鮮人、倭国の長い歴史の中で、絶えず、独自の矜持と胆力を持っておとなしい倭人たちを刺激し続けてきた半島の人々のパワフルさである。見るがいい。中央通りに鎮座する純福音大和教会の、周囲の諸公共施設を平定し、空に摩するばかりの真紅の十字架とハングルを。また商店街の各所に散在する韓国居酒屋やパプを。

 それは第三に、倭人の古来からの特質たる、外来文化を決して拒絶することなく、しなやかに豊かな四季の中に同化吸収していく適応力だ。見るがいい。珈琲まりも と CAFE MARIMO の両名併記を。純喫茶であると同時にバーでもあるという驚くべき両義性を矛盾なく取り込む。また見るがいい。ビル二階の喫茶フロリダのキャディラックのような豪奢で大柄な純アメリカンな店構えの下に、小路がくり貫かれて、赤提灯の小さな一杯飲み屋横丁が形成されている風景を。

 それは第四に、倭人の稀に見る職人的技巧とフェティッシュの中に精神を刻み込む独自の伝統を。見るがいい。駅前の菊一刃物店にズラリと居並ぶ刃物一つ一つの品質の高度な平準さを。それは決してこの店だけのことではなく、全国津々浦々の店で、水準は保たれていることを容易に納得させる。

 厚木飛行場からの引っ込み線を受け入れる相鉄”さがみ野駅”から乗車してきたミニスカートのハーフの長身の娘はシャラポワのように健康的で美しかった。私のまん前に座ると、長い足の根元に光る白いパンツを隠すことなく悠々と座って本を読み始める。まるでテニスマッチの小休止のときの女子テニスプレイヤーのようなそのあっけらかんとしたオープンネスに、ZENは小賢しい覗き見エロスを”超えた”ある種の感動を覚えた。やがて大和駅に着くと、ZENと肩を並べるようにして娘は下車した。大和(倭)には、確かな希望がある! (つづく)

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