ディスカバー大和(倭)〜後編


 あの街もこの町も、みな長男ばかりだ。それもかつてのような家督を継ぐ強権と忍従の長男ではなく、優等生を気取り、他人のマニュアル操作のミスを冷笑して、溜飲を下げるような卑屈な長男長女だ。三男坊の町は一体、どこにあるのか? あった。それが大和(倭)である。

 大和駅前に吹いているフリーダムの風とは、まず進駐軍がもたらした。フリーダムは儒教的束縛を解き、鎌倉武家的品位を逆撫でした。フリーダムは、この地においてハイ・ブリッドではなく、ロー・ブリッドとして流通した。それがこの地に染込んでいる。中央通りの真ん中を、後方からの車にかまわず、ゆっくり自転車を漕ぐオヤジや、首から広告板をかけて新橋通りを移動する女子店員や、地元商店で固められた大和銀座の猥雑さだ。しかし、いつの日か、相鉄本線の西の終着駅『海老名』のように成り果ててしまうのかもしれない。なぜなら、すでに商店街のあちこちに穴ぼこが空いて、全面的再開発の予兆を感じさせるからだ。

 海老名駅。ZENは大和から海老名に移動した。駅周辺を昼間、歩き回ったが、ついに一軒も地元の飲食店を見つけることができなかった。駅沿いに北をずっと歩けば見つかるが、そこはもう駅前とは言えない。ここまで徹底的に大資本が完全制覇した風景は、近くの相模大野駅を模したものなのか詳細を知らない。プラモデルを巨大化したようなガキの遊び場のような駅前空間の中心には、キッチュな極彩色の七重塔のモニュメントが建っている。各ブランドのテナントで埋め尽くされたビル。フードコート。巨大駐車場。全国ラーメン名店。コンクリートで固められた安全清潔な人工清流で水浴びする幼児たちとそれを囲む老若男女。彼らの多幸症ともいうべき表情には、絶望を通過して、乾いた蝋人形のような痛ましさがある。一体、この国はどこに進んでいくのだろうか。
 酸欠状態に陥ったZENは一刻も早く人間の匂いを嗅ごうと悶えながら、早々に大和へ立ち戻った。

 大和の駅前で目立つ外国人の飲食店だけを見ると、異国人の居住者が多いように感じるが、人口の2%に満たない。神奈川県の平均とほぼ同じ数字だ。国別で見ると、中国人が県平均の3分の1、逆にペルー人とタイ人が県の2倍強である。それは南国ペルー料理店NAZCAを繁盛させる理由であることは明らかだが、ゆったりとした空気が漂うこの土地柄に魅かれて移り住んできたのかはわからない。

 大和市といえば、北部に東急田園都市線の終着駅『中央林間』があり、その一つ手前の『つきみ野』駅周辺は、閑静な住宅街で所得水準も高く、東京を勤務地とする人たちが多く住んでいる。市の中央にある大和駅周辺の住民の6割は地元に職場を持っているし、横浜に仕事に行く人を含めれば8割を占める。居住歴二十年以上も6割いるから、ニュータウンにはない落ち着きがある。ZENがこの地域に愛着を感じたのは、1人世帯、2人世帯の割合が5割近くあり、いわゆるニューファミリー的要素が目立たないこともあった。要するに世代ピラミッド的に中抜けしていて、その間隙の一部を外国人世帯が埋めている。

 商業とは何だろうか?小奇麗な陳列棚に過不足なく適正価格の商品が常時、用意されていることだろうか? フランスの町のマルシェ(定期市)だけに限らない、世界中どこにでもある人間の言葉と肌合いを媒介としたモノの売買は、異化された空間で、見知らぬ情報を、自分の手で獲得する楽しみではないのか?日本のように恵まれた平和な国ならば、なおさらのこと。だから、異国人が日本に来て商売をするのは、町を自由にする。町の不良とは両義性を持つ。決まりきった日常を”超える”ものがそこにある。コンビニエンスストアは無言で行われる非日常の交換の場だから、人が集散するのだろう。

 大和駅周辺住民の一番の希望は、神奈川県内の他の主要駅のように、品揃えが豊富で情報機能を備えた大手資本の百貨店が進出してくることだ。ZENはそれを思うと残念だ。個人商店一人一人の才覚や、利益を上げるための愛想や親切や切ない努力や機略の集積としての商店の表情が消えていくことは、地域から"人間の日々の必死の様相が消滅すること”につながっていく。

 しかし、7月28日から30日まで、大和駅前は神奈川大和阿波おどりで賑わう。今年は区切りの第30回だから、特に地場商店会も力が入っている。お祭り好きの南米の方々は目を大きくさせて祭の前の高揚した雰囲気を楽しんでいる。

 特設テントの内外で、オジサン、オバサンたちがチラシを折ったり、食材を準備したり。酷暑の中、忙しく立ち働いている。そのすぐ横で、ヤマンバのネエチャンたちがハワイアンの浴衣をだらしなくひっかけて、通行人が煙草を落とす地べたにべったり座る。手鏡を見ながら目の周囲をさらに白く重ね塗ったり、シケモクを吹かしたり、中身のよくわからない飲料をゴクゴクと飲んだり、ウチワで顔を仰いでいるが、近くにある警察は何もしない。

 ZENは小田急線大和駅から急行で一駅南に下った『湘南台』駅へ移動した。乗車わずか7分。藤沢駅と大和駅のちょうど中間にあるニュータウンの駅だ。湘南台。湘南という海を想起させる言葉とは裏腹に、ここから海は見えない。しかし、加山雄三やサザンオールスターズを待つまでもなく、”湘南”という記号がもたらすブランド・イメージは悪くないと思うのかもしれない。また、”○○台”という”高台”を暗示させる高級感は悪くないと思うのかもしれない。また、”ここは横浜ではない。文化の町、藤沢市だ”というプライドが潜んでいるのかもしれない。

 ZENが小田急線湘南台駅の地下ホームから地上に出て目撃したのは、わずか10分前に見たものと全く対照的なものだった。ゴミ一つも落ちていない駅前広場にジャージを着た若い娘っ子たちが車座になって座っている。さっきのヤマンバとは比較にならぬ”健全さ”だ。ところがそこに青服の警察官がやって来て、しつこく尋問を始めているではないか。
 
 大和には聖があり、俗がある。ところが湘南台には聖も俗もないのだ。あるのは、ふわふわとした幸福という共同幻想と目に見えぬ相互監視システムだ。大手デベロッパーが巨大な資本を投じて誘導する夢の装置によって、区画された箱庭に割り当てられた居住地には、ダーティーなハエが存在してはいけない。排除しなければいけないのである。

 湘南台駅地下ホームから横浜へ向かう相鉄いずみ野線は、大和を通過する相鉄本線とは著しく異なる雰囲気を醸し出している。東急田園都市線に似たハイソな感じ。『湘南台』〜『ゆめが丘』〜『緑園都市』〜、そして大和(倭)からの不良なフリーダムの風を乗せた相鉄本線と『二俣川』で交わる。ZENは、二俣川駅前の飲み屋「仕立て屋」で、横浜マリノスのサポーターのコスチュームをしたオネエサンが運んできたジョッキの生ビールを飲み干した。 

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