異国の風餐人1


 ZENと同じ町にイギリス人が住んでいる。本人のプライバシーを守るために、ここでは仮名としてフールという名称を使わせていただく。フールは日本語を話さないので、仕方なく英語でやりとりすることになるが、こっちがOFやTOの使い方を誤ると、怒る。OFやTOという前置詞は、日本語でいえば、”てにをは”にあたる。例えていえば、”私はあなたの本に明日返します”という日本語は確かにおかしいが、意味が通じないことはない。ましてや外国人が言ったのなら目くじら立てることはないと思う。しかし、フールは絶対に許さない。日本人は英語を学校で習っているのだからというのが彼の理屈である。

 フールはアメリカ人も許さない。アメリカ人は(ボストンなど大西洋岸に住む英国からの初期移民を除いて)文化というものを持っていないと言う。日本人は文化を”持っていたが”最近、失ったと言う。聞き捨てならない言葉だが、フールの日本文化への造詣には、ZENも一目置いているので、激しい言葉の裏にある日本への”愛情”は充分、理解できる。日本人が下手糞な日本式英語を話すのを聞いて、”英語、上手ですね”などとお世辞を言う英会話スクールの外人講師よりも、よほど信頼できる。

 フールはあくまで、一人の英国人であって、英国人全体の代弁者だなどと言いたいのでは毛頭ない。むしろ彼は変人の類だろう。極東の島国に住み着いているのだから。しかも京都ではなく、東京に住んでいるのだから。進駐軍文化に脳髄を改造させられた戦後生まれの日本人が、高齢化社会の中で、どのように”文化の成熟”を紡いでいくのか? その先頭を切るのは団塊の世代の方々だろう。しかし、ZENはそういう大勢の中には入っていかない。風餐魂を英国人のフールから学ぶということは大いにありうることだ。世捨て人から、ふわふわした多幸症の病気を治癒されることは大いにありうることだ。

 
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