河辺正則


 ZENはとてつもない物語作家に出会ってしまった。名前は河辺正則。彼が書いた「物語集(第一巻)」は十二章から構成される長編物語である。出版社から出版を断られている。現行の日本の出版社ではスケール感が大きすぎる内容なので、とてもリスキーで”市場に出せる商品ではない”と判断したのだろう。風餐に潤沢な資金があれば、豪華な装丁を施して、上下巻=各五千円で発売したいほどだ。決して読み捨てられる本ではないからだ。

 ZENは等身大の主人公が出てくる日本の小説には、はっきり言って辟易している。数行読むと”わかった、わかった。あなた(著者)の言いたいことはわかった。僕はそれを決して拒否しません。あなたにはあなたの苦悩や喜びがあるのだろうから。でも、僕はそれを読むような悪趣味にはおつきあいできないのです”という条件反射がマインドに起こる。

 ZENが読みたいのは近代的自我に基づく人間の姿ではなく、”物語”です。物語で肝心なのは、登場人物の感情ではありません。思想や人生観ではありません。"なぜ人は生きるのか”の再認識ではありません。”こうして生きるべきだ”の解答ではありません。どのような”景色”かです。そして、できうれば”美しい景色”です。神話がそうです。主人公が現実の人間である必要はありません。

 河辺正則の「物語集(第一巻)」は、筆者が明らかに”書かされている”としか思えない景色がたびたび出てきます。筆者自身、どうしてそれを書いたのかが説明できない。筆者は350ページ近い物語を2ケ月で書き上げたが、その間自動書記のような状態が続いたという。そこには”私”がない。自分(こちら)ではなく、世界(あちら)から要請されてペンが動いている。私を超えている。

 彼に下りた”現象”が、常に彼の中に生まれるとは信じがたい。ZENは希望する。決して中上健次のように自らを人為的に追いつめて”憑依”を誘導するような無理をしてほしくない。これは僥倖であり、恩寵であり、自らの意志によって成されるものではないからだ。

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