如月小春とカリフォルニア物語


「カリフォルニア物語」は、昭和53年(1978年)の2月から月刊の少女漫画雑誌、別冊少女コミックに連載された吉田秋生(よしだあきみ)作画の人気漫画である。27年前の大学生のとき、故如月小春さん(演出家)と駒場小劇場のアトリエで話していたとき、彼女が「私ってさあ、カリフォルニア物語とかさあ、好きなんだよねえ。」と言っていたのを突然思い出して、ウルトラマン通りにある漫画喫茶で全8巻を読了した。

 ストーリーを簡単に追うと、カリフォルニア生まれ育ちの若者ヒース(主人公)が高校のとき家出をして、ニューヨークに行く。そこで出会うさまざまな人間たちや遭遇する事件を通じて、青春の苦悩や軋轢を訴えかける内容である。兵隊に行く若者や人種差別や同性愛運動やドラッグや中絶、貧困問題など、日本の若者の日常世界とはあまり縁のない深刻な出来事が次々と出現する。その目まぐるしい日々の中で、ヒースは常にもがき悩み、心の休まることがない。今の若者は、消費社会が与えるモノやサービスなど介在しない、ダイレクトでしち面倒くさい人間同士の剥き出しの付き合いが延々と続くこの物語をどのように感じるだろう。この物語に登場する人物たちは、この今を受け入れてまったりと楽しむということがない。常に今の状況に不満を抱き、逆らい、苛立っている。

 互いを殴りあったり、抱き合ったりしながらもつきあい続ける関係を、今の若者からはどう見るだろう。思いをぶつけて相手が殴ってきたら、いきなり切れて殺してしまったりするのか。それとも、それっきりで一切関係を断ってしまうのか。あるいは、互いがそんな風にまで徹底的にコミットしあうのは羨ましいと思うのだろうか。自分事ではなく、若者ならどう考えるのだろうかと冷静に思うこと自体、自分がもはや若くないと知る。

「カリフォルニア物語」は、男の子の物語で、登場人物がほとんど男の若者たちだが、しかし、作者が女性で、また女性向け漫画なので、私のような男が読むと違和感を覚える。なぜなら、男は普通、この漫画のように、過去の出来事を詳細に記憶して反芻したりしないし、他人の発言にいちいち執拗に堂々めぐりの口答えをしないし、感情あまっていちいち抱きついたりもしない。いつもベッドで裸のまま、もの思いにふけっているわけでもないからだ。反面、そこが新鮮ともいえる。

「カリフォルニア物語」は、では過去の物語かといえば、そうではない。今年の2月27日から3月3日まで、天王州銀河劇場で、同作品を原作とする演劇が催された。若者は体力が余っていて、性欲も旺盛で、しかし、打算的になるほどの地位を与えられているわけでもなく、社会的責任を任されているわけでもないから、時代が30年くらい変わったくらいで、若者の意識が全く一変するということはないだろう。しかしながら、大いに変わった面もある。30年前にはインターネットも携帯電話も存在しなかった。だから、自分の考えを世界中に知らせる前に、まず目の前にいる人間を説得する必要があった。それが今では逆転している。カリフォルニア物語を読むと、人間同士が生で向かい合っていた時代の郷愁のようなものが襲ってくる。このリアルな肌合いというのは、風餐がこれまで享受してきた世界と決して無縁のものではない。

BACK